インタビュー - ジャズマンに訊く

INTERVIEW

インタビュー - ジャズマンに訊く


プロフィール

大阪生まれ、奈良育ち。ベースらしいアコースティックな音色と力強いビートで高い評価を得ている注目の女性ベーシスト。
小学生の頃よりパーカッションを始める。大学を卒業するまでブラスバンド、市民楽団、ロックバンドなどで多くの演奏の機会を得る。多くの音楽に触れるうち、徐々にジャズにも興味を持ち始め、大学卒業後、エレキベースを手にする。その後、勤めていた会社を退職しアコースティックベースに転向。同時にプロとしての活動を開始。
2003年ニューヨークに渡米。滞在中は、アメリカ政府の主催する9.11復興プログラムの一環として行われた学校、公共施設でのコンサートに参加。また、マンハッタンのジャズクラブにて、ジャムセッションのホストベースプレーヤーとして様々なミュージシャンとセッションを重ねる。

1996年〜2005年まで関西で演奏活動、その後上京。
2007年よりノルウェーのミュージシャンの日本公演の招致を行う。また、2012年からはウラジミール・シャフラノフ(pf)と日本ツアーを行う。
2015年からは、ジャズを広く知ってもらうべく、「朝JAZZ」を主宰。現在、全国で精力的に演奏活動を行っている。


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音楽をはじめた経緯からジャズベースを演奏するまで

まずはベースを始めたきっかけから教えてください。

よく聞かれるんですけど、はっきりと記憶にないんですよね。

小学生の頃は鼓笛隊をやっていて。

中学から高校、大学と吹奏楽部と地元の市民楽団に入って音楽をやっていました。
元々は吹奏楽ではパーカッション、ロックバンドでドラムもやっていて。もともとドラマー志望だったんですよ。ジャズではないけど。

高校生のときは『ドラムでメシ喰って』っていうことを考えていたこともあったんですよね。

当時で女性でロックバンドのドラマーって言うとプリンセスプリンセスとかそういった感じのバンドですか?

レベッカとかそういうバンドですね。
あとは、女性バンドではなく、VOW WOWっていうバンドや、ディープ・パープルもやってました。

ドラマーとしてすごく好きだったのは東原力哉さんだったんですよ。

当時はもうすでに解散してたけど、ナニワエキスプレスがすごい好きで。それで力哉さんみたいにドラムを叩きたいと思ってたんですよね。でもすごい難しくて全然コピーできなかったんですよ。

記憶が曖昧というか、だいぶ遠い記憶になってるけど。

その当時に一番好きだったのは憂歌団なんです。
高校生の時はもうすごい好きで。

憂歌団とは渋いですね。

そうですね。
当時17歳とかでしたからね。

憂歌団を好きになってからは、憂歌団で人生を大きく左右されてるから…。
その話をしちゃうとすごい長くなっちゃうんですけどね。
ベースを始めたきっかけ、っていう話にはあまりつながらないし。

とにかく憂歌団がすごい好きで。

桃山学院大学っていう大阪にある大学で『オールナイトフェス』っていう、当時は有名な音楽イベントをずっと学園祭でやっている大学があったんです。RCサクセションとか、すごい面々が来てたんですよ。
そのイベントに憂歌団が毎年出演してて、そこの学園祭の実行委員をしたいがためにその大学だけを受けて…。
それでそこに入学して。

オールナイトフェスがなかったらそこには行ってなかったかな…。

ちなみに学部は社会学部で、音楽とは全然関係なくて。
当時はロシアのことを勉強してましたね。

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ベースについては、よく質問されるんですけど明確なきっかけがあるというわけではなくて…。
音楽をやりながら、ちょっとやってみたいかもって思ったんだろうと思うんだけど。

高校生の時にロックバンドをいくつか掛け持ちしてやってるなかで、吹奏楽部の先輩がドラムを叩いてるバンドがあったんですよ。
で、その先輩から『ベースがいないからお前弾け』って言われて。
たぶんそこではじめてエレキベースをちょっと触ったと思うんだけど…。

あんまりはっきりとは覚えてないんですけどね。

まぁその時は『ベースを弾こう!』という意志でやっていたわけではなくて。
一応エレキベースを持っていたかもしれないけど、その時は全然ジャズではなかったから。

ジャズをはじめたきっかけは、大学の在学中に『ジャズをやってみたい』って思って地元のビッグバンドに入れてもらったところからです。いわゆる市民楽団ですね。
奈良の桜井市っていうところにあるビッグバンドに入れてもらって。そこで初めて「ジャズベース」を弾きました。

ビッグバンドでベースを弾いていたんですね。それはウッドベース(コントラバス)でやられていたんですか?

ウッドベースではなくてエレキベースでしたね。
最初は全然演奏できませんでした。

ヘ音記号をまったく読めなかったですし。

ちょうどそのビッグバンドでベースの人がいなかったから「弾きたい」って言って、それで入れてもらえたんだけど。
全然弾けなくて。

そこでエレキベースをやりながら大学を卒業して、就職して会社員になって、っていう感じで。
その時はまだ音楽は趣味でやりつつ、っていう感じでしたね。

いまのお話だとはじめからジャズに興味があってビッグバンドに入られたわけではないようですが、ジャズに興味を持ったきっかけは何ですか?

高校の吹奏楽部の時の顧問の先生がジャズサックスをやる人だったんですよ。

で、その関係もあってグレンミラーの曲とかを演奏していたんだと思う。
たぶんその時に興味を持ったと言うか…。

最初に買った ジャズのCDは覚えていますか?

そのあたりも曖昧なんですけどね。

最初の頃に聴いたのはオスカー・ピーターソン・トリオのレコードだと思います。

たぶん、最初はとにかく『楽器を演奏する』っていうことに興味があったと思うんです。
ドラムにしろベースにしろ。

そのビッグバンドに入れてもらって曲を演奏している時も、何をやってるかわからないけど演奏することがすごい楽しくて、っていう感じだったと思いますね。
だから『ジャズに興味がある』って言うよりも、『演奏することに興味がある』って言うことだったかもしれないですね。



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それではジャズにのめり込んでいくきっかけというのはどういうところからだったんでしょうか?

ビッグバンドで演奏するとき、ビッグバンドの楽譜っていうのはおたまじゃくし(音符)が書いてあるんですよね。
その時使っていた楽譜っていうのは、ずいぶん前に誰かが耳コピをしたもので、それが出回っているわけなんですよ。

例えば、カウント・ベイシーのビッグバンドのベースの部分を誰かがコピーした楽譜、っていうので演奏していて。
そんな感じで全部おたまじゃくしが、その誰かがコピーしたものが書いてあって。
それを読みながら皆で演奏してたんですよ。

で、あるときビッグバンドで演奏していたらコードが出てきて。
例えば、Cm - F7とかって。
それで「Cm って何!?」ってなって。

「何を弾けばいいんだろう…?」ってなったんですよ、その時に。

ではその時にはまだコードとか音楽理論とかそういったものを全く知らなかったんですね。

そうなんです、まったく知らなくて…。

楽譜に書いてあることをただひたすら弾く、という。
それを弾いてるだけで楽しかったから。

それで、今までは『巻物』みたいな長い楽譜だったのに、急に2枚ぐらいの楽譜になって。
なんか Cm7 とかコードが書いてあって、あとリピート記号とか。その、いまジャズミュージシャンが演奏する時に見るような、コード進行だけが書いてあるような譜面が回ってきて、「えっ!!?」てなって…。

具体的にその曲名は覚えてはないんですけど、「これはいったい何をすればいいんだろう?」って思ったのがのちのちに繋がるきっかけだと思うんですけどね。


それで、ヤマハの音楽教室ってあるじゃないですか。

そこにベースの先生がいるからってどこかで聞いてきて。

その時は会社員だったんですけど、習いに行ったんですよ。
エレキベースで、「ジャズベースがやりたい」って言って、習いに行って。

具体的にどんなことを習いましたか?

「いろいろコピーをするんや」って言われていろんな人のコピーをしたりとか。

講師は大阪の塩崎 裕さんという方でした。

昔、貸しレコード屋っていうのがあって、そこでジャズっぽいのを見つけては借りて聴いていたんですよ。
ベースが誰とかっていうのは全然知らないけど。

それで、ヤマハで「レイ・ブラウンをコピーして来い」と言われて。
レイ・ブラウンのコピーをして、それを弾いたりして。

あとは、弾き方としてエレキベースでどうやったらジャズベースっぽくなるか、っていうのを教えてもらってたんですよ。

だからいわゆる『チョッパー』とかには興味がなくて。
指弾きでどういう風に弾けばジャズっぽくなるか、っていうのを、ずっと。

1〜2年ぐらいは通ったのかなぁ、会社員を続けながら。


クラゲで有名な鶴岡市立加茂水族館でのコンサート。佐津間 純氏とのデュオ



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エレキベースの限界

でも、ジャズっぽく弾くって言ってもエレキベースでは限界があるから※。
【※若林さんより注釈】
『アコースティックの音に近づける』という意味では無理がある、ということです

それでもう「そろそろウッドベースやったらどうや? ウッドベース習ったら?」って先生にも言われまして。

そこのレッスンの部屋の向かいがサックスの先生の部屋だったんですよ。
その時ちょうどサックスの先生が女性ばっかりのジャズバンドをやってたんです。
その先生に「女の子のベースを探してる」って言われて。

それでうちの先生が「うちの生徒で一人だけジャズベースやってるヤツがいる」って言って。
そのバンド(女性ばっかりのジャズバンド)を紹介してもらって。

女性のベーシストっていうのがあんまりいなかったから、「エレキベースだけどうちの生徒がジャズやってる」って言ってくれて。

リーダーは神戸のピアニストだったんですが、紹介してもらって、それで会社員をやりながら週に一回だけ神戸のお店にエレキベースを持ってそのバンドに弾きにいってたんです。
当時は何も弾けなかったんですけど。

それが始まりですね。


ウッドベースじゃなくてエレキベースで、会社員をやりながら並行して週に一回通っていて。
そのうちに「ウッドベース弾くか!」って思って、ボーナスで安いウッドベースを買って。

で、たぶんこれは昼間に練習しないと上手くなれないなと思って、それで1年ぐらいかけて上司を説得して会社を辞めました。

それからはアルバイトしながら演奏活動を始めるっていう感じかな。
もっと詳しく言うといろいろあるんだけど、端折るとそんな感じですかね。



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落とし穴に落ちたみたいに

会社は印刷会社で、営業やってたんですよ。
その会社を辞めてアルバイトをしながら、昼間に練習をして、みたいな。

女性ばっかりのジャズバンドを始めた頃、その頃でもジャズについてはほとんど何も知らなかったですね。
ポール・チェンバースすら知らなくて。

でも、京都市交響楽団の方にコントラバスを習ったり、周りの人からコピーしろって言われてコピーをしたりとかいろいろしました。その頃に周りの先輩とか、その時にプロでやってた人達とかに「どうすればいいですか? 何を聴けばいいですか?」って聞いてて。
それで、マイルス・デイビスのマラソンセッションのアルバム、『リラクシン』とか『クッキン』とか。
あれを聴いていればいい、って言われたんですよね。

それを聴いているうちに落とし穴に落ちたみたいにものすごい格好よく聞こえ始めてきたんですよ。
そのマイルスのアルバムが。
「リラクシン」を毎日聴いていて。
ものすごいハマったと言うか、ある日、『ボトッ!』て落とし穴に落ちたような感じで。

めちゃくちゃかっこいい音楽に思えてきたんですよね、突然に。

『なんか、すごい…!!!!』

みたいな感じですよ。
それでそこからいろいろ聴きまくって、どっぷりハマってきたって感じですかね。

21歳ぐらいで地元のアマチュアビックバンドに入れてもらって、27歳ぐらいでウッドベースを始めて。
そこから2〜3年後に『うわーっ!!』みたいな感じでジャズにのめり込んだのだと思います。

「すごいかっこいい!なにこのポール・チェンバースっていう人は!?」みたいな感じになったんだと思いますね。

そういった流れなので、最初に何かジャズの曲などを聴いて「うわ、すごいかっこいい!これやってみたい!」っていう感じではないんですよね。

結構のらりくらりとやっていて、突然、ジャズが何だかすごいかっこよく聴こえてきたんです。

ではマイルスデイビスのアルバムでジャズがかっこいいと感じて、そこから一気にジャズに傾倒していくという感じですか?

そうですね。

そのときに私の周りにいた人たちは、バラードを演るにしても速いテンポの曲を演るにしてもスローの曲にしても、マイルスのその(マラソンセッションの)4枚のアルバムを聴きまくっていればいいって言っている人が多かったから。

そうかと思って聴いていました。

それで、そこから派生してポール・チェンバースが演奏している他のアルバムを聴いて。
レッド・ガーランドが演奏しているアルバムを聴いて、みたいな感じの聴き方で広げていったんだと思いますね。



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地元の奈良ってビッグバンドが多いんですけど、すごいラッキーなことにスタジオを持ってる人がいて。
そのスタジオで毎週一回、夜中にセッションをやっていたんですよ。

そこに毎週練習をしに行っていましたね。何も弾けない時から。

プロの人も何人かそこで紹介してもらったりして。
それで、ちょうどその頃、奈良のホテルで毎週演奏するっていう仕事があって。
本当に何も弾けないのに、仕事として演奏させてもらえて。

何も弾けないような状態でどうやって仕事の演奏を乗り越えられたんですか?

コードを見ながら弾けるものは弾けたりもしたんですけど…。

いまにして思うと、私のその時の演奏でみんなよく我慢してやってくれていたなぁって思いますね。
大阪からプロのピアニストとかを呼んで演奏したりしてたんですけどね。

本当にみんなよく怒らずに一緒に演奏してくれたなって思います。
具体的にどんなミスをしたかっていうことを思い出せないぐらい、本当に何も弾けなかったので。

でもそのスタジオを持っていた方が、無理やりにでも仕事をくれたから。
それで徐々にプロの人と知り合いになったりして。
当時まだ女性のベーシストってすごく珍しかったし、そういう理由もあるのかな…。

それと女性バンドの方も、ウッドベースを始めてからも一応やっていたので。
それで神戸ジャズストリートっていう大きなイベントがあるですけど、それに出たりとかしてましたね。

全然上手くなかったのに…(笑。

ベースソロなんかは全然できなかったけど、譜面を見れば弾けるから。

本当に徐々に、ちょっとずつトラ(※)の仕事をもらったりとかしながら、現場でいろいろやりながら成長していたって感じですかね。
※エキストラ:レギュラーメンバーに欠員が出た場合などに、それを補充するために外部から呼んで演奏する人


地道な感じなんですよ。
本格的に活動できるようになったのは、だいぶ後になってからだと思います。


ウラジミール・シャフラノフトリオでのコンサート



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ジャズ演奏について

ジャズを演奏するときにいつも心掛けていることや意識していることはありますか?

『周りの演奏をよく聞く』ということですかね。

抽象的になってしまうけど、あとは『愛情を持って演奏する』ということかな。

愛情というのは具体的にはどういうことですか?

一緒に演奏してる人に、とか。
あとは演奏している曲とか、曲を作った人とか…。

作曲者は直接は知らないんだけど、その曲に対する愛情とか、演奏していることに対してとか。
いろんなものに対してできるだけ愛情を持って演奏したいなぁと思っています。

まぁとにかく一緒に演奏している人が気分良くソロができるようにしたいな、とか。
その演奏している曲に対して愛を持って接しようとか。

一緒に演奏している人に、気分良く演奏してもらいたいなっていうのはすごくあります。
そう言いつつも技術面で補わなきゃいけないこともたくさんあるし、気持ちよく演奏してください、って思っているだけではカバーできないことももちろんいっぱいあるんですけど。

でも演奏してる時には、一応そういう気持ちで臨みたいなっていうのはありますね。

あとはやっぱり周りの人の演奏をよく聞くっていうことですかね。
昔は演奏するのに必死で、あまり周りの音を聞けていませんでしたね。
まぁ今も必死ではあるんですけど。

最初の頃は、『腹(はら)に力を入れてちゃんととドッシリとしたことを弾くぞ!』って思ってましたけど…。
とにかくいまは演奏する時には周りの音をよく聞くっていうことをすごくよく心掛けています。



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特にジャズの場合はベースによって全体のグルーブが左右されたり大きな役割を担っていると思いますが、演奏全体に対する意識や心掛けのようなものはありますか?

以前聞いた話なんですが。
自分が船に乗っていて、いろんな紐(ひも)、というかロープのようなものを持っているようなイメージをして。
で、そのロープの先にはいろんな演奏者が乗った小さなボートがいっぱい付いていて。
あっちに行きたがる人もいるし、こっちに来たがる人もいるし。あとは帰りたい人もいるし、もっと先へ進みたいという人もいて。
そういう人たちがあんまり遠くへ行かないように、たまに「こっちだよ」って手綱を引く、と。

そうやって演奏をコントロールするというか。
そういう発想もあるということで、そういうイメージで演ったりしたことはありましたね。
一緒に演奏する人にもよるんですけど、たまにそんなふうにイメージしたりしています。

でも一番大事なのは周りの音をよく聞くことかなって思ってますね。
周りの音をよく聞いて、何かをキャッチしなければいけないことがあったらそれに素早く反応できるようにしておきたい、という意識はあります。

若林さんのライブ演奏などを聴いて、たしかに周りへの反応がすごく早いと感じたんですが、素早い反応をするために『周りの音を聞く』以外の方法や意識はありますか?

うーん、そうですね…。

早く反応するためにはすごく曲をよく知っていなきゃいけないですよね。

曲をよく知っていなければいけないというのは、(共演者が)例えば、自由にというか、本に載ってるコード進行じゃないことを弾いたりすることもあるわけじゃないですか。
ある意味、何をするかわからないというか。
裏のコードを弾いたりとか、全く違う別のコード進行を吹き始めたりとか。
だからその曲の構成とかよく知っている、理解している必要があるだろうし。

みんなが一番ベースを聴きながらやらなきゃいけないので、ベースの人が曲をきちんと把握して演奏を進めていかなきゃいけないんだろうなとはすごく思います。
だからすごい難しいですよね、ベースっていう楽器はね。

始めた頃よりもそれはすごく感じています。



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日々のトレーニングについて

日常で取り組んでいる練習などはありますか?

実は私も知りたいんですよね。
他の人がどんな練習をしているのか。

まずはしっかりと楽器が弾けないといけないですよね。
コントラバスはピッチが不安定になりがちなので、弓、アルコ(※)でロングトーンの練習が大事だと思います。
※アルコ=アルコ奏法(弓で弾くこと)

左手をしっかりホールドするための練習と思って最初は始めたんだけど。

長い間やっているのは、ロングトーンでちゃんとチューナーを見ながら正しいピッチで弾けているかどうかっていうこと。
それはもうずっとやってますね。今でもやります。

チューナーなどで音を確認しながらテンポ60か70ぐらいで2オクターブ〜3オクターブのスケールを地道にやる。
何も練習できない時にはそれだけでも練習するようにしてます。

生徒さんにもロングトーンを勧めていますね。
勧めている理由としては、ピッチが安定するっていうこと。

あとは左手をしっかり押さえるっていうことがすごい大事だから、左手の練習になりますね。左手をしっかり押さえることで、右手のピチカートも安定してくるんじゃないかと思っているんです。
アマチュアの人が不安定なピッチなのはスケール練習をしないからだと思うんですよね。
自分がちゃんと正しい場所を押さえられているかどうかっていう確認は大事だと思います。

いま挙げた練習方法以外には何かありますか?

クラッシックのエチュードを練習するのもいいと思います。

リズムに関してはメトロノームを使って。
私がよくやっているのは、他の楽器の人もよくやっていると思うんですけど『メトロノームを三連符の一番最後の音として聞いて、それに合わせて弾く』という練習です。

普通にこう『カ・カ・カ・カ』って4拍(4/4)を鳴らして。
で、この鳴ってる音を『三連符の一番最後の音』というふうに感じ取りながら弾くんです。
メトロノームのクリックの音は、つまりドラムのシンバルレガートみたいな感じで『チャーチャ・チャーチャ』のチャの部分。

『カ・カ・カ・カ・・・・』

↓ブーン『カ』ブーン『カ』ブーン『カ』ブーン『カ』
という感じで『ブーン』のところを弾く、と。

裏拍をメトロノームに鳴らしてもらうみたいな感じです。

演奏をしてる時、すごく「走って」しまっていたんですが、この練習を始めて「待てる」ようになりましたね。
最初の頃は「遅れてはいけない」というのもあって、すごく焦って弾いていたんだと思うんですが、この練習でそんなに焦って弾く必要はないんだ、とわかった感じがします。

あとは、これが直接スイングとかグループにつながるかどうかはわからないけど、しっかりその音を聞いて、なおかつ自分も演奏するっていう、その練習になるかなっていう。

普段、このメトロノームの鳴らし方で練習をする時はブルースを半音ずつ転調して弾いてます。
テンポ70か80ぐらいで、キーを半音ずつ上げていったり下げていったりとか。
なので、それで全部で12コーラスやるわけですね。
時間がない場合は、そのブルースの12キーでの練習を一回やって、スケール練習をいくつかやって、みたいな感じです。

あとはいろいろコピーをしたり、曲のメロディを弾いたり、ということをよくやっています。

後半へつづく


インタビュー後編はこちら

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オフィシャルサイト



ウィーバー・オブ・ドリームス

若手正統派ジャズギタリスト・佐津間純と女性実力派ベーシスト・若林美佐によるデュオ・アルバム。ミニマム?ユニットが醸し出す豊潤なくつろぎ。


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【Member】
吉野ミユキ(as)
外山安樹子(p)
若林美佐(b)
鈴木麻緒(ds)


スターティング・ポイント

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